H24 東北 平泉〜仙台!
平成24年9月8日〜9日(晴れ)
朝AM3時出発!ってか目覚めて、走っちゃういつものパターン。
東北のロングツーリングは、久しぶりだったし楽しみにしていて、前日は用意を万全に、最速で行い、速攻で就寝。
なので、時間には余裕で出発です。
川口を出た時は、まだまだ、暑かったのですが、途中から寒くなり、那須高原SAでホットコーヒーをこの時期に飲むことに!
福島に入り、やっとの事で朝食!やっぱりカレーライスです。
(牛丼のあるPAの予定で入ったのですが、無かった)
さあ〜〜〜いよいよ初めの目的地!岩手==
平泉町営 中尊寺第一パーキング 50円
世界遺産 中尊寺!
中尊寺の表参道のを月見坂といいます。道の両側には、江戸時代に平泉を治めていた伊達蕃によって植樹された。樹齢300〜400年ほどの杉の並木が続き、歴史の長さを物語ってくれます。
金色堂に行くまでの間に、数々のお堂などがあり、その一つの弁慶堂!
弁慶堂は中尊寺の参道沿いにある建物で、入母屋の金属板葺きの屋根でかなり細かい彫刻が施されています。案内板によると「この堂は通称弁慶堂という文政9年(1826)の再建である。藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。弁慶像は文治5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。」とあります。
中尊寺 月見坂を上って行くと、お休みどころ「奥の細道展」
飲み物やぜんざい、あんみつなどもあり。
茅葺屋根の建物の中には、松尾芭蕉の痕跡などを展示してある。
中尊寺 本堂前
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院、(塔頭、大寺の中にある小院)で構成されている一山寺院です。
本堂は、一山の中心となる建物です。
中尊寺 本堂!
讃衛蔵(寺宝展示施設)
讃衡蔵は中尊寺に伝わる文化財、宝物を永く後世に伝える宝物館として、建設され、平成12年(2000)に新築されました。館名の「讃衡蔵」とは、奥州藤原3代(清衡、基衡、秀衡の衡)の偉業を讃える宝蔵。という意味です。
国宝や重要文化財など多数の仏教美術工芸品が収蔵されています。
金色堂入り口!
さあ〜〜ここから、金色堂の見学に入ります!
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です。
しかし、金色堂は撮影禁止の為、ここまで。
松尾芭蕉!
五月雨の降り残してや光堂。
旧覆堂
金色堂を風雪から護るため正応元(1288)年に鎌倉幕府によって建てられたと伝えられているそうです。
5間四方の堂で、かつては鞘堂と呼ばれていたそうです。
昭和38(1963)年に現在の覆堂が建設されて、この位置に移築されたものです。この建物も、重要文化財に指定されています。
平泉いにしえの丘 奥州藤原歴史物語 ゆめやかた
ゆめやかた(夢館奥州藤原歴史館)は、岩手県・平泉100年の栄耀、奥州藤原氏四代の歴史と文化を学ぶことの出来る歴史テーマパークです。見どころの中心は蝋人形(ロウ人形)による歴史の有名な場面の再現。ゆめやかたは世界最大級の蝋人形館でもあります。
中尊寺 市営駐車場前の よしつね!
前沢牛 ステーキ定食。
昼飯で2000円ってどう?
しかも、漬物食べ放題で、一番美味かったかも!
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。
平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
高舘 義経堂。
天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されています。高館からの眺望は平泉随一といわれ、東にとうとうと流れる北上川、束稲山(別名・東山)が見えます。また西からは、かつてその流域で前九年・後三年の役の戦いの場であり、弁慶立往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。
最高の景色。
本日の就寝所。
健康ランド Mors 北上。
中尊寺から国道4号線を約40km北上し、牛博物館など寄り道をしながら、北上江釣子インターめざし到着!
素泊まりで2300円
朝AM3時頃に出発!
まだ、暗い中のスタートだったけれど、岩手の国道4号線は走りやすく、暗い道でも、気持ちよかった。
途中の古川辺りから、国道108号線で石巻方面に行くことに急遽決定。
予定には無かったのですが、地図を見ていると、自然にそちら方面へ。
石巻に着いて、海岸近くの工場前で守衛さんに聞いてみると、つい最近まで、ここに貨物船が打ちあがってて、このクレーンも津波被害。
そのパワーはすごい。
守衛さんが、津波が来た所に行ってきてくださいと。
気持ちの整理がつかなかったのですが、守衛さんの言葉で行く勇気が出てきて、現場へ。
撮影は工場だけしか出来なかったのですが、その現場は、テレビと同じ状況で、場所によっては、手付かずの所もあり、まだ許可も下りてないらしいです。
また、走っていると、復興の言葉(がんばろう石巻)が数々あり、支援をありがとうって言葉もあって、俺達の方がいろいろもっと頑張らなくてはいけないと痛感される。
石巻のミニストップで朝飯!
G−DOG タルタル海老カツをゲット!
しかし、店内で食べようとしたら、タルタルソースを落としちゃった〜〜
そしたら、店員さんが、来てくれて作り直してくれると〜なんて良い人なんだと、朝からうれしい事が!
また、半分残して外で食べていると、おじさんが来て、いろいろ話していると、近所の人らしく、たぶん被災されていると思うのに、いろいろ気遣ってくれてた。石巻の人達は、ここに観光で来たのではないけれど、そのような人達に、また来てくれるようにと、声をかけてくれたのかと思い、絶対ここのミニストップに来ようと思った。そして、海老カツを食べる。
同じ日本人、もっと東北の人達に何か出来ないのかと!
石巻から松島へ
ここは初めから、来たかった場所です。
十数年前に観光で来たのですが、あの地震で大丈夫だったか確認をしたくて来てしまった。
五大堂
「平安時代初期の807年、坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、828年、慈覚大師が瑞巌寺の前身、松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂と呼ぶようになった。現在の建物は1604年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に勾欄つきの縁を巡らし、正面の向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王像を安置する。有名な蟇股の彫刻など、雄健な桃山建築として、国重要文化財に指定されている。 瑞巌寺」とあります。独立した島の上に透橋を架け、五大堂が建っている様は松島を代表とする景観の1つで、御本尊の五大明王は33年毎しか御開帳(一般公開)されない珍しいものです。
瑞巌寺
近世に入ると伊達家の菩提寺となり、仙台藩初代藩主である政宗が奥羽屈指の大寺院を建立しました。瑞巌寺の建設には諸国から130人以上の名工を集め約5年間という期間をかけ桃山建築の粋を尽くした建物とされました。現在も当時の建物が残り本堂と庫裏は国宝、御成門、太鼓塀、中門は国重要文化財。
しかし、平成の大修理(平成20年から平成30年頃まで)で本堂、中門、御成門が拝観できない。
でも、本堂修理期間中は、国宝庫裡及び陽徳院(政宗公正室愛姫)御霊屋を特別公開していて、数十年前とは違う見方が出来た。
通常ならば、通過する所だったけれど、拝観出来てよかったなあ〜〜
松島から仙台へ!
仙台駅前で少し道に迷って、仙台市博物館にたどり着きました。
そしたら、そしたら〜〜〜駐車場でチャリンコを乗ったおばさんが、近づいてきて、なんと特別展「インカ帝国展 マチュピチュ『発見』100年」のチケットを無料でくれた!
本日は人の優しさなど、嬉しい事ばかりで、ハッピー
本当は、青葉城の博物館を目標にしていたのですが、そのおばさんによると、こちらが本物と!
伊達政宗の墓「瑞鳳殿」に副葬品として納められていたもの。
今でもこの様なきれいな形で残っていると思うとすごい。
しかも、政宗の廟所「瑞鳳殿」は戦前国宝指定されていましたが、残念ながら昭和20年7月の仙台空襲により焼失してしまいました。
仙台城(青葉城)にある、伊達政宗の騎馬像の原型らしい!
仙台城(青葉城)の石垣が震災で壊れている場所が有る為に、車では城跡まで行けなく、市立博物館から徒歩であがっていかなくては、だめらしい。
そこで、気合を入れて、登ってみた。
さあ〜〜たどり着きました。
全身汗でビショビショです!
これが有名な、伊達正宗公の騎馬像!
実際は、これを見たかった。
12時頃に仙台を出発して、菅生PAで、牛タン丼を昼飯に!
もしかしたら、今回で一番美味かったかも。
5時ごろに帰宅し、7時から飲み会へ。
すごくタフです。
総走行距離 1100km走破。
本日、岩手にてAM2時起床〜〜〜前川PM26時就寝。何時間遊んでるのでしょうか?